ライフスタイルの変化と物理

ライフスタイルの変化と物理

東大・理・物理 村尾美緒IDiversification of lifestyle and physics Dept. of Physics, Univ. of Tokyo    M. Murao


 物理学は典型的な知的集約業であり、発展の鍵を握るのは人的資源である。社会とライフスタイルの変化に対応して、重要な人的資源である女性が「特 例」ではなく、普遍的に「普通に」に物理に参加・貢献する枠組みを作るための戦略を、1991年にハーバード大学理学系大学院で提出されたThe Grosz Reportを元に、私自身の日本での育児経験ともあわせて考察する。

 ハーバード大学理学系では、大学の競争力強化のためにはライフスタイルの変化・多様化に対応することが必要である、と言う観点から、Women in Scienceの抱える問題・そして解決すべき問題の洗い出しを行った。昔のように、(子育ても含めて)日常生活の面倒を全般的にみてくれるパートナーが いて研究/教育のみに没頭することのできる人のみを想定した大学システムでは、優秀な人材が集まらないし、優秀な人材を育てられない、という問題意識であ る。

 問題点としては、
1.女性が絶対的少数派であるためにサポートが充分得られないこと 
2.ハラスメントの存在 
3.家族に関する問題(Family issue) 
が主なものとして挙げられている。

 これに対して、意識改革・環境改革という観点から、ある程度の女性数のcritical massが重要であること、そして多様な生き方に対する理解を求めることが解決策として挙げられている。レポートでは、家族に関する問題のうち、子育ての 問題が大きくとりあげられている。子育てをシェアする男性も増えているため、子育ては女性のみの問題ではないが、女性にとってはより不可避となる可能性の 高い問題である。保育所のサポート・産休・育児休暇・教育義務の低減に関して多様な選択肢を用意すること、会議やセミナーを夜に行わないようにする、等の 提言がなされた。

 一方、私個人の育児体験から強く感じたことは、産休・育児期間における研究の遅れを最小化するための支援システムが必要なのではないか、ということであ る。弁護士や医師などのキャリアと違って、日進月歩の科学研究の世界では、数ヶ月でも完全に休むと、自分自身の研究の遅れに加えて他の研究のフォローがで きなくなり、世界との差がどんどん開いてしまう。後からその遅れを取り戻すには大変な努力が必要となる。ITを活用し、他の研究のフォローや研究情報のや りとりを続けるための「家庭と職場をつなぐ研究の窓口」を支援するシステムが選択肢に加われば、非常に有効なのではないかと思う。

 まとめると、物理において女性を人的資源としてもっと活用するためには、研究スタイルの多様化・フレキシブル化に加えて、育児支援も含めた研究支援シス テムの多様化・効率化が必要であると思われる。これには、ITの活用が大きな貢献をすることだろう。また、従来の均一的な人的資源のみを想定しているよう な研究や大学のマネジメントシステムにも構造的変化が望まれる。目的やビジョンを明確にし多様化に対応したコミュニケーション努力を行うこと、本質ではな い「暗黙の仮定」を排除することにより、慣習的に行われてきたことの中から目的やビジョンにとって本当に必要なことは何かということを常に見出す努力に よって、マネージメントの効率化を図る必要がある。これらの変化は、女性のみならず多様な男性の人材も引きつけることにより、より創造的な知的集約業であ る物理の発展に寄与するのではないかと考える。

参考文献:
FAS Standing Committee on the Status of Women, The Grosz Report, Report on Women in Sciences at Harvard, (1991)
http://schwinger.harvard.edu/~georgi/women/cfd.htmlよりダウンロード可能)

(日本物理学会第58回年次大会講演概要集より 30pZN-3に基き書き加えた。)